この世その物に、もし意志があるとするならば。
きっと、それは人を無条件に愛しているだろう。
そうでなければ未だ人類が滅びず、繁栄している理由が見つからない。

そう、愛していたからこそ今の今までは維持されてきた。
では今はどうだろう...もう解らない。
解ることは一つ、少なくとも滅びは緩やかに迫っている。
それが数百、数千年の先か。それとも明日にでも来るのかは人間次第だが。
それを選ぶにはあまりに数が多い、全ての人間の考えが違うのだ。

だから、きっとその答えを選ぶため。人に思考を与え、正義と悪を生み出した。
人は必ずどちらかに染まり、それは選ぶという考えすら無い内に体に宿ってゆく。

双方の解はこうだ。世界はゆるやかに滅んでいく中で
正義はあくまでこの世界の意志が求める、ゆるやかなに続く未来。
その代わりに人間は今の世界を捨て、異形へ進化すると言う条件付きだ。
...乃ちは、遠回りに諦めの死を選んでいるのかもしれない。

そんな正義に悪は刃を向ける。
諦める事も、戦わない姿勢を攻める訳でもなく
ただ、遙か未来の先でも帰る住処が無くなっていては困ると。ただ、それだけの理由で。

どちらが正しい、そんな明確な答えは存在しない。
だが、そんな事はお構いなしに彼は振るう、その腕を。刃を。魂を。

夢幻とも深淵とも見える人知れぬ世界で起きる戦いの果て。
人から離れた悪の化身「変神」が、この世界の意志と争い、果てに見る物とは...何か。

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無の世界、足場があるようには見えない場所から煙が上がり
真白な無が砕け、無数に飛び散る...形容しがたい光景が広がっている。
無すらも有に引き戻すほどの激しい一撃、傷跡が衝撃を物語る。

『...これで死ぬとは思えんが』

余りにあっさりと倒れた地球意思に近づくと
先ほどまでとは違う贅肉を剥ぎ落とされシンプルな姿に変化していた。
何の個性もない素体のような姿は、生きているのか死んでいるのか...どうにも判断できない。

物言わぬ体に、変神が刃を突きつける。
亜空力が刃の周囲に漏れ、個性を持たない体に反応し激しい音を上げる
流石に衝撃があったのだろう、微かに反応があった...その次の瞬間世界が回転する

激しい衝撃...打撃、殴られたのだ
微かな動きを感じた瞬間、視界が遙か上空に向く
一瞬霞んだ視界に地球意思の姿が見え、次の瞬間にはもう一撃
今度は体が後方に跳ね飛ばされ、見えない壁に激突する。

「地球意思に死なんて物はないよ、油断したね」

見据えた前方に声と共に地球意思の姿が現れる
捉える間もなく一撃、また一撃、その姿からは想像も出来ない重く硬い拳が変神を削る
見えない壁に背後を取られ、動けない変神を壊さんと止まる事無くその腕が振るわれ続ける

『...』

声も上げぬままの変神の前に、地球意思の拳は巨大な姿へと変わる。
深く構えたそれは、最後の一撃を意味するのだろうか

様々な炸裂音がまるで反響し合うように無の世界に響き
重なり、まるで最後の一撃を盛り上げるコールのように湧き上がっている

「喋る暇もないね」

巨大な腕はそのコールに合わせるように振るい落ちる
...が、その勢いは炸裂する目前で失われる事となる
拳を放った主、地球意思の特徴を持たない顔が歪み、上方へ跳ねたのだ。

『満足か...のっぺらぼう』

まるでやられたそのままを返す様に、変神の拳が跳ね返り戻る地球意思の顔に炸裂する。
地球意思の顎にめり込み、そのまま振りぬかれ砕けた顔の欠片が飛び散る。
その衝撃も収まらない内に更にもう一撃、開いた拳が追い打ちをかけるように胴体を撃ちぬく

「お前は...ッ」

僅かに出た言葉も途切れ、地球意思がその場に崩れ落ちる
次第にその体には、欲望の中で得た個性が戻ろうとしている
無駄はない、しかし各部に鎧のような物が浮かび、顔も生物とも機械ともつかない表情を見せる

まる変神の言葉に反抗するように口が生まれ、目が生まれ
まるで笑うように表情を崩し、その腕は勢い良く伸び再び変神の体を殴りつける。

『地球意思、お前は何を求める...何の為に存在している』

地球意思の叩き込んだ両腕に雷のような光と衝撃が駆け抜ける
一瞬の閃光、変神の背中から伸びる羽がエネルギーを刃として伸ばし
猛然と振り上げられた両腕を切り飛ばすと、そのまま体も後方へ跳ね飛ばす

「理由を求める、それが進化を妨げるんだよ...変神ッ」

跳ね飛ばされ、崩れ落ちた体が再び不定形の異形へと変貌を始める
切れ飛んで腕は既に生え、砕けた体も再生する。正に意思が形を持って存在している。
そう表現すればその理解不能な性質を表現するには相応しいだろう

狂った意識は、最早その行動に理由を持っていない
確かに人間的な考えの範疇といえばその通りなのだが...

『狂うのはいいが、一人遊びに留めておくべきだったな』

言葉を介し、同じような大きさの存在として殴り合い斬り合う存在が
何の意識も持たず、ただ自分の為だけに生命体を改造し、世界を乱したのだとすれば
そこには最早、正義という物はない。単なる悪ふざけに近しい蛮行だけが残っている。


何処で狂ったのか、そんな物は解らない。
元から狂った状態だからこそ、人間の生態系は成り立ったのかもしれない。

人間という存在のベースがこの意志であるのであれば
地球上の生物の繊細なバランス、特に人類の崩れやすい心は確かに似ているとも感じられる

「君はどうやら僕の範疇にはないようだけど、人間の形に囚われ過ぎているね」

突き詰めれば、今はもう神に範疇に入るかもしれない。
だが、変神も根本は人間ではある、それすらも見えていない。

愚かで、指し示し導いてくれる存在もなく変質した異形、それが今の地球意思。
ある意味では被害者だろうか。しかし、目の前の存在に何かを感じることはない。

変神は既に亜空間の側、別次元の存在へと完全に深化した今となっては
それは自分と変わらない、単なる異形にしか見えない
何かと生きることを拒み逃げ続けた結果を写した化物がいるだけだ。

『悪いが、形に拘るほうじゃなくてね』

またも変質する異質なシルエットが立ち上がるのを確認すると
変神は両の手の中に刃を出現させ、影に向かい突き進む

胸を突き出すように駆け出したその姿はまるで自身全てが刃のように
大きく外側に伸びた切っ先が無の世界を切り
そこから溢れ出た亜空の力が世界を無数の光で染め始めている。

あらゆる感情、欲望を得てもなお、満たされない地球意思自身と
全てを詰め込んだ先にあった世界が、この無であるとするのであれば
その目前の存在もまた人間によく似ているのが解る

囚われているのはどちらなのだろうか。
人間の根源たる地球意思もまた、その生み出した存在の異様な進化を見て
何処かで憧れ、羨んでいたのかもしれない。

嫉妬や諦めが、霧のように自分に中にあった無限の力も可能性も隠し
段々と霞んだ視界では見えなくなっていった、最早人間その者だ。

「ッ...うるさい奴」

気がつけば目前の存在、変神と名乗る存在が
次第にその力を開放しているのが体感できる。

何も変化していないように見えて、最初と今では明らかに挙動が違う。
まるで今この瞬間にも進化し続けているとでも言うのだろうか
この、星の力その物である自分に、さも当たり前のように対抗し全く引かない。

そう考えると、自然と焦りも生まれている
この感情は知らなかった、漠然と言葉として脳裏に浮かんでいた。

腕を切り飛ばされた瞬間、何が起きたのか理解できなかった
弾丸が飛んできた時はまだ、それが止まっているようにも見えたというのに

他の攻撃も同様だ、当たっても死なないと判断できた攻撃が段々と威力を増し
効かないと理解し安心していた精神は、既に「次は危険だ」と反応を見せている。

取るに足らない相手だった...だが、今はどうだ。
最早その動きは目で追うのがやっとだ、ダメージも痛みと衝撃になって体に刻まれる
何故だ、治らないのだ...不死身であるはずの自分が死を恐れている、理解できなかった。

『どうした、怯えた顔して』

近いようで遠い、その一直線の世界を赤と紫の光が駆け抜け
その抜けていった先には更に高いエネルギーを示す緑の光が残光のように漂い続ける

その瞬間から後、より強く影響し続ける光。
その世界をまるで蝕むように輝く悪光。
無の世界がぶち撒けられた絵の具のように染まり、輝き、変わってゆく。

実感するたびに縮まっていく距離
一歩、また一歩と踏み込んだ先で次第に影は色を取り戻し
無という鎧を纏った地球意思の姿を解りやすく認識させる。

もう数秒、しかし永遠のように長く続くような間隔。
無数の音が反響し、先程まで顔の形も曖昧だった地球意思の表情すらも認識は容易だ。

恐怖を覚えた...とでも言うような表情。その瞳の先に映る輝きの中心にある黒、そして輝く赤い瞳
変神の目が地球意思を完全に捉え、既に飲み込んでいる...次で決まると、理解させてくれた。

「...ヒュッ」

息をしていないはずの喉が鳴る。
迫る影がまるで既に自分を飲み込んだような感覚を覚えさせる
動けない、痛い...怖い...怖いとは何だ、知らない感覚が流れ込んでくる。

知りえなかった人間の感情と感覚が、まるで自分に跳ね帰ってきたように
この僅かな時間の中で土砂降りの雨の如く降りかかる。
最早自分は意志でもなんでもなく、単なる人間なのでは無いかとすら感じてしまう。

解らない、自分とはなんだ...人間とは何だ
考えた事もなかった、生み出した事で満足していたのかもしれない。

それが感受するという事、存在するだけで良くも悪くも成長し変わっていく事実。
何もかも、自分は理解しているふりをしていたのだ、得て初めて気が付いた。


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